若者に責任感がない5つの理由と改善方法


「最近の若者には責任感がない」とよく言われるが、なぜ最近の若者には責任感がなくなってしまったのだろうか?

この記事ではその問題に対し個人的要因と社会的な要因の異なる2つの観点からアプローチしてみたいと思います。

また、責任感とは言うが責任感とは何よ?責任って何よ?というテーマにも迫ります。

そもそも、責任感がない人間というのは世代を通して一定数存在するのであって、一概に最近の若者だけが責任感がないと断定出来るものではありませんが、そういう言葉を度々耳にするので記事にしてみました。

責任感がない理由

自分の行動に主体性がない

責任感とはその行動の意志決定段階において、個人が自由に意思決定している場合にのみ宿るものです。なので前提として「自分で考え自分で行動する」というプロセスがなければ絶対に責任感は宿りません。

自分で自由に考えて行動したが問題が起きてしまったので責任を取りますという具合になるわけですね。
自分の意志とは関係のない他人の意志による自分の行動では、問題が起きたとしてもそれは他人の意志による行動なので悪いのは他人であって結局「他人のせい」になってしまうんです。
責任感がないと感じている人は、もしかしたら自分の行動に主体性がないのかもしれません。

それともう1つ。自分で意思決定はしているが、その意思決定に他人の影響をフルに受けてしまっているパターンです。
どこかで覚えた知識や知恵を持ち出して物事を考える傾向にあるパターンです。
これは一見自分で考えて主体的に見えますが、そこにあるのは他人の主体性であって、自分自身による主体性ではないのです。

ミスや失敗が自分自身に帰結しない

例えば会社などの組織では、多くの人間によって構成されているので個人が全体に与える影響は少ない場合があります。会社でなくても自分自身が責任感がないと感じる対象に置き換えて考えてもらえれば良いですが、そういう場合には自分のちょっとした失敗やミスや考え方は全体に大きな影響を与えないので責任感がない原因になってしまいます。

個人で事業をされている方は自身のミスや失敗は全て自分に返ってきて収入や社会的信用という形で影響がでます。社会で大きな役割を果たす企業の社長や首相や著名人なども自分の立ち振る舞い1つが多くの人間に大きな影響を与え、様々な反応が返ってきます。そういった意味で個人の行動が全て個人に帰結するんです。

組織での個人の立ち振る舞いは直接的に自分自身には影響を与えないかもしれませんが、個人のミスや失敗によって業務が滞ったり、組織全体への影響を与えていたり、上司がツケを払っていたりすることを考えるとどこかで影響が出ており誰かがそのフォローをしていることになります。やがてそれは自分自身にも影響を与えるものであることを理解することが責任感に繋がるはずです。

そもそも責任がとれない

責任とは、ある人の自由な行為によって何か問題が起きた時、それに対処する義務のことを言います。

個人であれば責任をとることが出来ますが、組織ともなれば責任をとるのは上の人間または代表なので1個人はそもそも責任をとれないことになります。そもそも責任をとれないorとらなくてもよいのだから責任とは希薄になり責任感も希薄になってしまうのでしょう。

「自分で考える」を排除した教育

以上は、総じて個人による要因でしたが、ここからは社会的要因についてになります。
何故なら、個人というのは社会の影響を少なからず受けており、個人に集団的傾向が見られた場合、それは個人に影響を与えた社会側にも何らかの問題があるからです。

まずは、個人に主体性がなくなってしまった原因の1つに日本の教育の問題があります。
現在の日本の教育というのは簡単に言ってしまえば「知識詰め込み型教育」です。
「暗記型教育」「記憶教育」..
言い方は何でも良いのですが、予め答えが決まっている問題に対し用意された答えをひたすら覚えるというもので、そこに「自分で考える」というプロセスは極力排除されています。
何度も言うように責任感とは「自分で考え行動する」というプロセスがなければ絶対に宿りませんから、義務教育の6歳~15歳+高等教育と多くの年月を暗記教育に費やしていては「考える」ことが希薄になり同時に責任感も希薄になってしまうのも頷けます。

高度な経済を生み出すために国民の多くをサラリーマンにしなければいけなかったのは理解出来ますが、ここへきてその弊害が顕著に顕れているのも真摯に受け止めなければならない事実なのではないでしょうか?

しかしこれに関しては新たな動きもあり、従来の暗記型の教育から思考型の教育を取り入れる動きもあるようで、どうなっていくかが楽しみでもあります。

一定の年齢までは子供として扱いそれからは大人として扱う社会

人間というのは生まれてから突然大人になるわけではありません。
赤ちゃん⇒幼児期⇒児童期⇒青年期と段階を経て徐々に大人になっていくものです。
しかし、今の日本の社会とはこのような生物としての摂理に適う社会制度になっているでしょうか?

筆者は「成人するまでは子供として扱い、成人すると大人だからと知らんぷりする社会」と表現しています。
飲酒や喫煙にしても「飲酒や喫煙は20歳になってから」と徹底的に未成年から隔離されていますし、暴力やアダルト関連もそう。少年犯罪には保護処分等の特則が設けられています。
言葉遣いや社会のルールやモラルに関しても未成年のうちは仕方がないと言われます。

本来なら大人になっていく過程において、徐々に社会のルールや大人としての在り方を学びながら同時に責任感を養っていくものですが、ある一定の年齢までは「子供だから」仕方がないと許され、または「子供だから」と隔離され、何の教えを乞うこともなしに、ある一定の年齢を超えてからは「大人だから」と責任だけを押し付けられる。こんな恐ろしいことはないのではないでしょうか?

だから筆者は若者の責任感の欠如に関して、個人の問題だけだとは思わないし、そうした社会の無責任さによって若者だけが攻撃される現実を黙ってみていられないし、その攻撃に対して若者は何の防衛手段を持たないことに何ともいえない違和感を感じるのです。

そもそも責任感ってなんだろう?

この記事を執筆するに当たり、筆者に1つの疑問が生じました。
それは、「そもそも責任感とは何か?」という疑問です。

責任感とは自分の行為に対し責任を果たそうとする気持ちのことを言います。

じゃあ今度は「責任とはなんだ?」という疑問が生じます。
よくTVなどで「責任をとって辞職します」とか、記者会見で土下座で謝罪する様子とか、頭を丸めて謝罪する様子が放送され、責任をとることはなんとなくそういうことなのかと漠然とした認識の中にありますが、一方で「それらは責任をとることではない無責任である」と批判されます。そこで少し私たちが日常でなんとなく使っている責任という言葉について考えてみたいと思います。

責任とは、ある人の自由な行為によって何か問題が起きた時、それに対処する義務のことを言います。

そしてその行為は大まかに次の2つに分類されるのでしょう。
・取り返しのつく行為
・取り返しのつかない行為

果たすべき責任は、その行為によって変わってきて
「取り返しのつく行為」に対する責任とは「取り返すこと」であって、何を以て取り返すことが可能かを判断することは難しいのだが、例えば仕事のミスなどはそのミスを覆すだけの成果をあげることであるといえるし、何か社会的な問題が起きた際には、その問題について謝罪した上で改善し以後同問題が起きないよう努力することであるといえます。そうでなければ政治的過失を犯したにも関わらずその過失を放置し総辞職して責任をとったとされる違和感に繋がってしまう。

「取り返しのつかない行為」に対する責任とは、その行為に見合うだけの別の代替手段によって償うことであって、その究極は「自分自身の命」なのだろう。
例えば、江戸時代における「切腹」とは、己の名誉と贖罪のため死をもって償う行為で、せめてもの救いとして名誉が守られていたのであり、「土下座」も命よりも名誉を重んじる時代に生まれた産物であって、名誉を失うことは死んだも同然であったために代替手段として意味を成していたのです。時代は移り変わり現代において、「命で償う」ということはなくなったが、取り返しのつかない行為に対しては別の代替手段によって責任をとるということは同じで、例えば恋愛禁止のルールを破って頭を丸めて謝罪したアイドルなどがそれにあたる。
要するに「取り返しのつかない行為」はどうしようもないから取り返しがつかないのであって、その責任とはその程度と同格な別の何かによってなされなければならずそれは「死(又は社会的な死)」でなければならないのでしょう。
(恋愛禁止のルールを破ったとか可愛いものなら坊主でも良いが・・・)

だから名誉よりも命を重んじる時代になった現代において、「土下座」による謝罪による責任の取り方は何も意味を成さないのであり、TVの謝罪会見などで、すぐに地に頭をつけ土下座し謝罪する様子を見て違和感を感じられる人は正しいし、取り返しのつく行為において「取り返す行為」を放棄し辞職による責任の取り方という「逃げ」に走る人間を見て違和感を感じれる人は正しいのです。

改善方法

それでは最後に改善方法について筆者なりの案を出したいと思います。

といっても重要なことは1つだけでこの記事で何度も言っていることですが、
とにかく主体性を持って自分の頭で考え行動すること」です。

上司や第三者による指示であっても、それを淡々とこなすのではなく、「何の意味があるのか」「誰のためになるのか」「もっと良い方法はないか」など様々なことを考えながら行動することで自分の行動に意味が生まれ、自分で考えたことによってそれは自分の行動になるので責任が生まれ、責任は責任感に繋がります。

あとは個人のあれば問題ないと思いますが組織に属し責任感がないと感じている人は、
「自分の立ち位置を確認すること」も大事かと思います。
自分はその組織でどういう役割があるのか、その役割は他者とどのように繋がっているのかを再確認することで少しずつ自分の役割の重要性が理解出来てきて責任感に繋がるのではないかと思います。
結局はこれも「とにかく主体性を持って自分の頭で考え行動すること」なんですけどね!

と、今回はこの辺で締めようと思います。
また何か思いついたことがあれば追記していこうと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました(*^_^*)

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